本日お話しするのは、ただしくは辞め方というより、わたしがパチンコをやめた日のことです。
では、どうして「やめ方」を題名にしたのかというと、パチンコ依存症克服の攻略法には大体、
「最後は勝ってきてください」
と書いてあるからです。
これは、わたしは違うなと感じています。
なので、「わたしがやめた最後の日」についてリアルに書きしるそうと思いブログを書くことにしました。
わたしがパチンコをやめた日
パチンコって、結果的にこの3パターンですよね?( 比率は圧倒的に負けが多そうだけど・・・ )
- 勝つ
- 負ける
- トントン
わたしは最終日、大負けしました。
その額なんと11万
朝イチすっぴんで挑んで、飲まず食わずトイレにもいかず、席をたつのは財布がカラになってアコムに行くときだけ。(しかも早足)
そんな感じでミリオンゴッド、バジリスク、黄門ちゃま、北斗の拳と乱れ打ち状態。
最後は神頼みでパチンコも打ちました。
そしたら、結果的にボロ負けしたという訳です。
でも、その時は別に最後にしようとは思っていませんでした。
じゃあ、なんで最後になったのかというと、家に帰って一息ついた途端、耳の後ろから土砂が雪崩れてくるようなうつ状態にはいったからです。
たばこ臭くなったギットギトの身体とギンギンの脳内で考えたことは、
死のう。
死ななきゃ治らないし、これ以上自分を止められないから親に迷惑をかけると思いました。
でも、死ねなかった。
当時、わたしには彼氏がいました。(今彼でもある)
自暴自棄になったわたしはその彼に対して今後の付き合いについて詰めました。
「結婚する気がないなら別れてくれ」と。
もやは向こうからしたら「何よいきなり!」状態だったと思います。
ただ、死のうと思っているわたしの中にはどこかで
- 自分を止めてくれる存在
- 自分を守ってくれる証
これらがほしかったんだと思います。
そこで彼からでた答えは、NOでした。
まさかのNO。
彼は非の打ち所がないほど優しい人なので、ぶっちゃけYESだと思っていました。
彼はその理由として、下記の様なことを懸念していました。
- 借金があること
- その額が不明確で隠そうとすること
- 増えているのではないかと不安であること
- パチンコ依存症の気持ちがわからないこと
- それが原因で自分の家族に害が及ぶのではないか
わたしは「ごもっとも」としか言いようがなく、お互い涙涙で別れることになりました。(この後復縁するのですが次の機会に)
これが、パチンコ最後の日のことでした。
わたしは彼に真実を突き付けられ、
「あんな優しくて永久的だと思っていた彼の愛がなくなってしまうほど、わたしはヤバい状態なんだ」
とそこであらためて自覚しました。
そこから、自主的に行かない日々が始まりました。
あれから5カ月が経ちますが、それほどのムラムラはきていません。
その理由はおそらく”行ってはいけないことを理解した”からだと思います。
この一連の流れを通してわたしが感じたことは、
最後の日は負けた方がいい
ということです。
通常では、「最後の日は勝った状態でやめないと未練が残って取り戻そうとおもってしまう」というのが定説です。
だけど、わたしはそれは間違ってると思う。
勝った状態でパチンコを辞めてしまうと、勝った記憶が強くのこりやすい。
パチンコ=稼げるものというイメージがアホな脳内にこびりつく。
一方、負けた状態なら「もう自分はパチンコで勝つことはできないんだ」と自覚することができる。
少なくとも、わたしは負けたから「自覚するきっかけ」があったと思っているし、勝てないものなのだと理解ができました。
負けて「悔しい!取り返そう!」ってなる人はやめられる境地に立っていないんじゃないかな。
じゃあ、どうやれば悔しい!ってゾーンから抜け出せるかというと、方法は2つある。
悔しい!ゾーンの抜け出し方
ひとつは、パチンコ屋と物理的、時間的な距離を置いて自分のほとぼりがさめるのを待つこと。
そしてふたつ目は、カードが止められるまで、限度額ギリギリになるまで借金すること。
究極だけどこのふたつ。
多分、このブログを読んでるひとはふたつ目の方が多いんじゃないかと思う。
でも、詰んだからといって、人生が終わるわけじゃない。
借金には色んな解決法があるし、正直返せばいいのでなんとでもなる。
あとは、どうやってその返済期間、メンタルを保って生きていくか?が重要。
このブログを書いてる時点で、わたしは398万の借金があります。
人間って、正直下みたり、同類をみれば元気がでちゃう生き物なんです。
だから、わたしがそのメンタルの支えになればなぁと思っています。
あー文章うちすぎて小指いたい(骨折中)
骨折治ったら、もっとばんばん発信していくので、Twitterのフォローもよろしくお願いしますね^^
以上、パチンコ最後の日は、負けた方がしっかり自覚できるよ、という話でした。
じゃ。